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それぞれの思惑

last update Petsa ng paglalathala: 2026-06-25 04:34:39

史緒里は手土産を持って、祐市の実家へと訪問した。

「おばさま、お久しぶりですぅー」

祐市の母、美鶴と史緒里はよく見知った仲だ。

祐市と恋人だった頃、史緒里はよくこの家に遊びにきていたし、有名な霞ヶ浦家のお嬢様だということもあって、美鶴は史緒里のことを可愛がっていた。

「まあまあ、史緒里ちゃん、本当に久しぶりねえ」

「これ、お土産です」

「そんなの、気にしなくていいのに」

美鶴は史緒里を茶室に通し、歓迎のための茶を自らたてて出した。

「海外に行っていたんですって?」

「そのことなんですけど、おばさま、理由はなんて聞いています?」

「自分探しと語学の研鑽のためってきいているけど?」

「実はそれ、嘘なんですぅ」

史緒里はよよと泣き崩れる。

「実は2年前、胃がんが見つかって、幸いに初期段階ではあったんですけどぉ、国内では治療が難しいってことで海外で治療を受けていたんですぅ」

「あらあら、まあまあ、大変だったのねえ」

史緒里は抗がん剤の副作用がいかに苦しかったか、知る人もいない海外の病院で弱ってゆく病気の自分がいかに哀れだったかを延々と語って美鶴の同情を散々に引いた。

「そんな日々を耐えられたのは、ただ、もう一度だけ祐市さんに会いたいという、愛のためだったんですぅ」

「ううっ、なんて美しい愛なのかしら」

美鶴がハンカチで目を抑えている隙に史緒里はペロリと舌を出す。

これみんな嘘だから。

「なのに、ようやく体が治って帰ってきたら、祐市さんには妻がいる、この絶望、わかります?」

「わかる、わかるわよ、史緒里ちゃん、でもね、あの2人は別に愛し合って結婚したわけじゃないの」

「だけど、私……祐市さんのお嫁さんになりたかった……」

「ううっ、じおりぢゃん〜」

美鶴は持っていたハンカチで涙を拭い、ついでにブビーと鼻をかんだ。

「私が離婚するように言ってあげるわ、あの二人が別れたら、あなたが新しい花嫁さんよ!」

「えー、でもそれって、なんか割り込むみたいで申し訳ないですぅ」

「何を言っているの、先に割り込んだのはあの女の方よ! それにね、あんな生まれも素性もわからない女なんて。私は一度も嫁として認めたことはないわ!」

みやびが祐市のボディガードだということは、美鶴には特に絶対知られないように配慮されている。

ちょっと世間知らずで思慮の足りないこの義母に知られれば、警護計画に大きな穴が開きかねないからだ。

だから美鶴にとってみやびは、祖母がどこかから連れてきた育ちの悪い野良犬みたいな女にしか見えなかった。

野良犬に比べたら、霞ヶ浦家といういう血統書付きの史緒里の方が何倍もよく見える。

「あんな女、身一つでこの家から叩き出してやるわ!」

「わあ、頼もしいです、おばさまぁ、あ、でも……」

ここで史緒里は、ちょっと俯いて言いにくいことを言いますよ〜的な雰囲気を作る。

「離婚すると祐市さんの持ち株を取られちゃうって……」

「あー、そうね、それがあったわね」

それは美鶴にとって義母にあたるあたる寿子が決めた事。

寿子は現在の日立家の当主代理であり、美鶴如きにその決定を覆すほどの権力はない。

「あ、おばさま、こういうのはどうです、おばあさまをヒョイっと消しちゃえば、祐市さんが当主になるでしょ、そしたら、そんな約束反故にできるんじゃないですか?」

「史緒里ちゃん、消すって……」

「ああっ、やだなあ、言い間違えちゃった、引退してもらうって言いたかったんですぅ」

「あ、あはは、なるほどね〜」

とはいえ、実際には寿子は歳の割に元気であり、引退などしそうにない。

本当にトップの座を開けてもらうためには、彼女にきちんと後継者として認められるか、あるいは彼女を消すかの二択しかないわけで……。

「株さえ渡しちゃえば離婚は簡単よね……」

少し及び腰になる美鶴だったが、史緒里はそれを許さない。

「ダメですよ! あんな野良犬みたいな女には株の価値なんてわかんないですよ、宝の持ち腐れじゃないですか!」

「そうなのよね、私も、あんな女にはビタ一文渡したくないんだけど、離婚するにはね〜」

「おばさまならそこをなんとかしてくださると、私、信じています!」

「え、わ、私?」

「お願いしますおばさま、私にはおばさましか、頼れる人がいないんです」

「え、えーと」

「ね?」

上目遣いでうるうるっと見上げる史緒里の圧に負けて、美鶴はついに頷いた。

「わかったわ、こういうのはどうかしら、あの嫁を徹底的にイビリぬいて、彼女の口から『株はいらないから離婚させてください』と言わせるのよ!」

「わあすごい、おばさま、期待してますぅ!」

などと、史緒里と美鶴はみやびを無一文で追い出す気満々だが、当のみやびは……

「正直、株とかいらないんですよ」

彼女は今、日立家の本家の日本庭園にて、寿子を相手に太極拳のレッスン中である。

大きく胸に息を吸い込み、ゆったりした動きで細く大気に呼吸を溶かしながら、みやびは自分が離婚を考えていることを寿子に報告する。

「そもそもこの結婚は、警備のための偽装だったわけですし、スッキリきっぱり後腐れなく別れた方がいいと思うんです」

離婚したら持ち株云々の話を最初に持ち出したのは寿子の方である。

孫である祐市の頑固さをよく知っている寿子は、彼が離婚しようとするのを封じ込めるためにこの条件を持ち出した。

祐市の持ち株は彼の底なしとも言える資産の根幹であると同時に、彼が役員会で十分な権力を振るうための持ち札であ利、これを失えば日立家の後継者候補筆頭という立場さえ失いかねない。

恋愛小説的にいえば、夫の立場を奪って彼を没落させる復讐チャンスタイムではあるが、みやびが求めているのは復讐ではない。

「株式譲渡に関する権利を全て放棄します。それならば祐市さんも素直に離婚に応じてくれると思うんです」

寿子は「はー」と深く息を吐いた。

それが太極拳の呼吸法だったのか、孫嫁の身を案じたため息だったのかは、本人しか預かり知らぬこと。

「本当にそれでいいのね?」

寿子の問いにみやびは迷うことなく頷く。

「そもそもこの結婚は警護のための偽装ですから」

「それでも二年も一緒に暮らしたんだから、祐市の方も、少しくらい情ってもんがあるんじゃない?」

「いいえ、これっぽっち少しも驚くほどないです」

「そ、そう? そんなに断言する?」

「そもそも警護するだけなら他にもやりようはありました、それを安易に結婚という形で偽装しようとしたのは、そこに私の邪心があったからです」

その邪心とは祐市に対する愛。

みやびは今でも祐市に対して強い恋情を抱いている。

「愛しているからこそ全てを差し出して彼を守りたかった、だけど”初恋”が帰ってきた今、愛しているからこそ彼の幸せのために身を引こうと思う、それが偽らざる私の本心なんです」

「あなたがそう決めたのなら、私からは何も言えないわ。だけど、警護計画はどうなるの」

「そこはきちんと努めさせていただきます。実はですね、反祐市派のリストアップが完了いたしました」

それを聞いた寿子の表情が、きゅっと厳しく引き締まった。

「つまり、武力による制圧を開始するってことね」

さっきまでの孫嫁と太極拳をしていたほのぼのおばあちゃんの面差しとは打って変わって厳しい、冷徹な当主代理の顔だ。

「作戦の進捗予想は?」

「できるだけ穏便に済ませるためにまずは交渉を行なっております。ただ、交渉に応じない過激な家がいくつかありまして……」

「許可します、そんな家は潰しておしまいなさい、見せしめにもなるでしょう」

「はい、その際の戦闘行動には私も参加する予定です」

「終了予定は?」

「三ヶ月……いえ、一ヶ月で完了させます、その間は敵に気取られないよう、今までと変わらぬ生活をお願いします」

「つまり、あなたの離婚の話も一ヶ月間持ち越しっていうことね」

寿子の表情がふっと緩んだ。

「ねえ、一ヶ月もあれば、あの子の心も変わるんじゃないかしら」

「それはどうですかね」

「あなたが本物の”霞ヶ浦史緒里”だっていっちゃってもいいのよ、そろそろあの子も真実を知るべきでしょう」

「……これは私が好きな恋愛小説をもとに考察したことなのですが」

「うん?」

「”本物令嬢”は”偽物令嬢”に虐げられるのがセオリーです」

「ううん??」

「つまりですね、血筋だけ正当な本物令嬢が、養女である偽物令嬢が暮らしている家に帰った場合、その立場を奪うために帰ってきたのだと逆恨みされてドロドロした争いが起きてですね……」

「ちょっと待ってちょうだい、それ、小説の話よね?」

「はい、でもここには十分な教訓が含まれていると思います。私が本物の”霞ヶ浦史緒里”だと名乗ることは得策ではありません」

「そう? そうなの? あーそうかも。でも、本当にそれでいいのね?」

「はい、もう決めましたので」

「わかったわ、作戦完了とともにあなたたちの婚姻に関する取り決めを全て解除します。心置きなく離婚なさい」

「ふふっ、心置きなく離婚って面白い言い回しですね」

「結構本心よ、あの子はあなたに冷たすぎるもの、良ければもっと良い再婚相手を紹介するわよ」

「あ、恋愛小説的には祐市さんの叔父にあたる人がセオリーです。祐市さんと年の近い隠し子だったりするとさらに良いです」

「残念ながら既婚者で禿げてて血のつながったおじしかいないわねえ」

「まあ、おじ云々は特に期待してませんし、今は……作戦に全力を注ぎたいので恋愛ごとは不要です」

などと、みやびが無一文で追い出される気満々でいる頃、その夫である祐市は……

「本当に奥様と離婚なさるおつもりですか」

そう聞いたのは祐市のアシスタントを務める笠間だ。

彼らは今、祐市のオフィスでコーヒーブレイク中である。

離婚の話になったのは。アシスタントである笠間が祐市のプライベートの一部も管理しているから、知っておくべき情報だと考えてのことである。

「離婚なあ、離婚かあ……」

コーヒーを一口啜りながら、祐市は遠くを眺めるような目をした。

「二年も一緒に暮らしてきた妻を、そんな簡単にポイするのって、どうなんだろうな」

さすがはクズだが常識ある男、初恋が近くにいない時は真っ当な思考能力がある。

「ならば、史緒里さんと別れますか?」

「それもまたなあ、あー、両方と上手く付き合う方法ってないのかなあ!」

やはりクズである。

「そもそも、離婚したら俺の株が全部あっちに移るって条件が厳しすぎるんだよ、おい笠間、実際問題何%手元に残せば俺の発言権は確保される?」

「70%程度あればいいかと」

「つまり持ち株のうち30%は譲渡する、残りは現金で補填するという形にすれば、離婚の条件としては悪くないんじゃないか?」

「離婚時の慰謝料は夫婦共有財産の50%が常識ですからね、むしろ破格の条件なのではないかと」

「決まりだな、その条件で交渉してみよう」

馥郁としたコーヒーの湯気を楽しみながら、祐市は満足げに頷いた。

だが笠間の方は少し不満顔だ。

「社長、差し出がましいことを申し上げてもよろしいでしょうか」

「なんだよ」

「金銭的な問題はそれで解決するかもしれませんが、奥様のお気持ちはいかがなものでしょう。あれだけ社長を愛していらっしゃったのですから、納得のいかないところはいくつもあるかと思うのですが?」

「愛してたぁ? あいつが? 俺を?」

祐市は鼻先でわらう。

「愛してたのは俺の金だろ」

アシスタントとして祐市の傍にひかえる笠間は、みやびの献身をいくつも目にしてきた。

そもそも祐市が嫌がったからと結婚式もあげずに、隠れ妻としてひっそりと暮らしていることからして愛の証なのに!

「思い出してください、社長、あなたが酔うと私はいつも奥様にお迎えをお願いしていました。奥様わ私からの電話を受ければ365日24時間いつでもどこでも5分以内に駆けつけてくださった、これを愛と言わずなんというのです!」

愛ではなく警護の一環である。

「それだけじゃありませんよ、パーティー会場でも、他人のふりをする社長のことを責めず咎めず、常に3歩下がった位置から優しく見守っていらっしゃった、これを愛と言わずして! なんというというのです!」

それも警護の一環だ。

どうやらこの笠間という男、仕事はできるが恋愛脳がすぎる。

「金銭には変えられない確かな愛が、そこにはあったのです!」

興奮して叫ぶ笠間に、祐市は冷ややかな視線を向ける。

「愛なんかねえよ」

「なぜです?」

「嫉妬してくんなかったんだよ」

「は?」

「嫉妬だよ、嫉妬、、史緒里を連れて帰ったときにさ、俺のことを愛してるなら嫉妬してきゃーとかぎゃーとかヒスるもんだろ、だけどあいつは……いや、確かに興奮はしたんだけど、あれは……嫉妬じゃなかった」

「ん、社長、それって……」

もしかして愛されたいと心のどこかで願っているんじゃないか、と笠間は思った。

思ったけれど口に出しては言わなかった。

それは祐市自身が気づくべきことであって、他人である自分が口を出しても聞いてすらもらえないだろうと思ったからだ。

「ともかく、先ほどの条件で離婚協議書を作成してくれ。愛はなくとも二年も妻として近くにいてくれたんだ、きちんと義理は果たしたい」

「承知いたしました」

こうして三者が三者とも”離婚”に向けて動き出した。

本来なら目標が同じなのだから、どこかで話し合うとか擦り合わせるとか、ことを穏便に済ませる手段はいくつもあるはずなのだ。

だが同じ目標に向かっていながら、自分の意見だけを最優先して思い込みで身勝手に動くから、ことは拗れて混戦する。

これもまた、恋愛小説のセオリーである。

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